鎌倉寺巡り vol.3 【銭洗弁天へ】

「切り通し」をご存知だろうか?


三方を山に囲まれた鎌倉へ向かうには、山を越える必要がある。しかし山登りは骨が折れる。そこで、山を切り開いて道にしたのが切り通しである。


どんなもんなのか通ってみたい、という純粋な興味で、亀ケ谷切り通し、仮粧坂切り通し(誤字ではない)の2つの切り通しを使って銭洗弁天へ向かうことにした。


先ほど鎌倉から北鎌倉の方面へ歩いたが、今度は再び鎌倉方面へ向かって行く。


円覚寺から建長寺の方面に向かう途中に分かれ道があり、そこから亀ケ谷切り通しへの看板が出ている。


切り通しというくらいなので、私のイメージではとても狭い道なのかと思っていた。しかし、案外広いし、車も止まっているし、地元の人が使っている。一番恐怖を感じたのは露出している岩肌そのものではなく、「落石注意」という看板のほうだった。


へぇ、切り通しってこんなもんなのか。たしかにすごいけど、思ったほどじゃない、たしかに私はこう思った。


が、仮粧坂切り通しでこの時の私は切り通しをなめていたことに気づく。


最初私は行き止まりなのかと思った。そこまで結構きつい坂道を登ってきたけど、行き止まり。どこで道を間違えたのか…?さっきまで看板出ていたのに。


目の前には土の崖のようなものがある。


せっかくここまで登ってきたのだから、順路で行ける限り行ってみよう。勇気を出して、足を踏み出す。雨が降ったのか道…と思わしきところはぬかるんでいる。足場もない。そして急な坂というか段差というか、もはや崖だ。


ここは行き止まりではなく、そんな崖がしばらく続く。大した距離ではないが、その恐怖感と言ったらない。


後ろから自転車を押してきたカップルが、そんな崖を登れるはずもなく立ち尽くしている。自転車じゃなくて正解。


舗装された道にたどり着く。安心感。


この旅の中で、私はこの鎌倉の山に溶けてしまうのではないか、どこか異世界に行ってしまうのではないかと思うことが何度かあった。…なんていうと虚言癖のようだが、それほど静寂で神聖でファンタジックな空気があった。この山登りも、そんな瞬間の一つである。


仮粧坂を登り、さらに舗装された道を歩いて行くと、銭洗弁天に着く。100円でお線香と蝋燭を買い、ザルを借りられる。お線香と蝋燭をお供えしてからお金を清める。


「銭」洗いだし、小銭を洗おうと思っていたら、周りみんなお札を洗っている。というわけでお札と小銭計1500円をザルに入れ、柄杓で清める。


清めるという行為そのものより、その場所が洞窟の中であるということが魅力的だった。天井からは光が差し込む洞窟。


ここまでそそくさと歩いてきた私も、人が多くいるという安心感からか途端に疲労を感じて休憩をとる。

時刻は微妙な時間で、これからもう一つの目的地であった竹寺に向かうのは厳しい。


鎌倉駅に戻って江ノ電に乗り、長谷へと向かうことにした。