仙台ひとり旅 復路
帰りの終電は、17時仙台発の東北本線だったので、帰りは東北本線で家へ向かった。
内陸を通るし、もう夜なので面白いものはあんまりない。…と思ったけれど、乗り換え駅「新白河」は、「白河の関じゃん!」とテンションが上がったし、かの有名な那須も通り、以前に秩父に旅行したときに通った黒磯なども通り、新幹線では味わえない、何とも言えぬ「移動してる感」を楽しめた。
帰る前に、仙台の駅で購入した牛タン弁当。紐を引くと蒸気が出てあっためてくれる。びっくりした。そして食べてみたら本当にほっくほくでびっくり。時間がなくてお店で牛タンを食べられなかったのが残念だけど、こういう形で楽しめてよかった。
深夜0時、家についてパタッと倒れて眠りについた。
おやすみなさい。
仙台ひとり旅 松島
お腹すいたーと思いながら仙台駅に戻る。そしてサンドイッチの駅弁を買って、今度は仙石線に乗って松島へ向かった。
約40分、7時間乗ってきた身からしたら大した距離ではなかった。
残念ながら天気が良くなくて、青くきらめく海を見られなかったのが残念だった。きっと朝方なんかは綺麗だったんだろうな…。
せっかくなのでおいしいものを食べたいと思い、ふらふらと街道沿いを歩いていく。まずは焼き牡蠣を食べた。醤油とポン酢を付けて食べた。ちゅるっと一口で口に滑らせると、ミルキーな味がして、とってもおいしかった。やっぱり名産地の牡蠣はおいしい。通りすがりのおばさんに「あら、それ牡蠣?おいしそうねえ」とうらやましがられた。私も人が食べてたら絶対言う。
あとは笹蒲。手焼き体験をして、焼き立ての笹蒲を食べた。御餅のように膨れる蒲鉾を初めて見て、とっても新鮮だった。へえ、蒲鉾って御餅みたいに膨れるんだ…。アツアツの笹蒲を一人でほふほふしながら食べて、仙台駅に戻る電車に乗るため、再び駅に向かって歩いた。
仙台ひとり旅 仙台
仙台駅の周りは、その辺の地方都市と同じように、大きな建物がいくつもあって、現代の「まち」って感じだ。いままで行った地方都市によく似ていて、生活しやすそうな街。そんな街中にひっそりと、時間が止まったかのように古い家が建っている。それが晩翠草堂だ。土井晩翠が亡くなったときに住んでいた家だそうだ。
中に入ると、ガイドの方が迎えてくださり、「荒城の月」を聞きながらゆっくりと中を拝見した。庭も小さいけれど綺麗で素敵だった。
そしてそこから歩いて約15分。広瀬川を見に行った。土井晩翠の家がここなら、きっとここから広瀬川を見たんだろう。
思ったよりも水の綺麗な、そして流れのゆったりとした、そしてその名の通り広い瀬をもった川だった。きっとここで、「岸に無言の身はひとり」なんだな。
仙台ひとり旅 往路
仙台まで一人旅をした。
土井晩翠の詩に詠われている「広瀬川」を見たかったこと、そして、常磐線が仙台までつながったという話を聞いて、一度本当につながっているのか確かめたかったから。
初めての鈍行旅だった。行く前日は途中で嫌になってしまうのではないかと不安だった。まあ嫌になったら途中まで行って帰ってくればいいや、帰り嫌になったら新幹線に課金して途中から帰ってきちゃお、と思って気軽に出かけた。片道だって元を取れる切符だもの。
朝の4時半に目を覚まし、始発電車で北へ北へと向かう。途中までは日常の延長のようだったけれど、北へ向かうにつれ、次第に日常が薄れていく。うつらうつらと眠りに落ちては目を覚まし、持って行った大好きな本を読み進め、またうつらうつらと眠りに落ちる。何度も繰り返しているうちに、茨城を抜け、福島県に入る。
大野、双葉、浪江…福島県内の駅名は、9年前の原発事故を思い出すもの。地図を見ると、まだ帰宅困難区域に入っているところもある。夜ノ森駅の周りには、立ち入り禁止区域も残っているという。
そんな暗い記憶とは裏腹に、その日の海は美しかった。あの周辺の海岸を象徴するように、暗いトンネルに入っては視界が開けて海が見えた。そんな穏やかな日々を、あの震災が奪ったんだと思うと、なんともいえない気持ちになった。
原ノ町駅から仙台行きに乗り、仙台についた。「本当に常磐線だけで来てしまった」という驚きと、7時間電車を乗り継いで到着したという達成感が、なんとも心地よかった。
そして今
恋愛は告白した方が負け、だという。
できることなら、告白されて付き合いたい。だってその方が幸せだもの。交際は私のペース。告白などという、勇気の必要なことはしたくない。
いつのまにか、「好きな人」がいる。ちょっと前まで「気になる人」とか言ってごまかしていたけど、今ははっきりそう言える。勇気を振り絞って食事に誘ってとっても楽しくて。だけど、またその勇気を振り絞るのが怖くてたまらない。でもまた連絡を取りたいし、一緒に食事をしたときに、私の話で楽しそうに笑ってくれた笑顔に胸がきゅんとしてしまう。
告白した方が負け、それなら負けてしまおうか。それもありなのかもしれないなあ、なんて。
3年分の
2019年ももうおわり。年の瀬だ。
今年の5月に恋人が恋人でなくなってから、半年以上、あの恋愛のなにがいけなかったのかを考えている。なぜか彼のTwitterのアカウントをこっそり検索して、近況を確認することはやめられない。でも私自身は今は全然違う人のことを気になっていて、わいわいその人の話を友達とするのが楽しい。
なにがいけなかったのか。ぽつりぽつりといろんなところで言葉にしている。多分、単純に彼と私は合わなかった、ただそれだけのことだと思う。
だけど具体的に書いておきたい。今後同じ間違いをせずに済むように。この3年が「無駄」の一言で片付いてしまわないように。
箇条書きで、何か書き足したいことがあれば、最後に少しずつ書いていく。
1.名前で呼べなかったこと、呼ばれなかったこと
2.喧嘩をしなかったこと。結局喧嘩をしてまで意見の違いをどうにかしたいと思わなかったこと。
3.電話をしなかったこと。お互いのレスポンスの遅さ。
4.自己開示をしなかった。弱みやつらいことに対して。
5.価値観の違い。学問や仕事に対する考え方の違い。
6.コンプレックス。身長と学歴。
7.普段いる場所が遠すぎた。生きている世界がねじれの位置なのは地理的に近くても遠距離恋愛と同じ。
8.年の差、立場の差。
9.失うこと、拒絶されることを恐れすぎた。
10.好きといわなくなった。キスもしなくなった。
1と2。この2つは大きい。「恋人」に自分がなにを求めているのかを自覚していなかった。ただ「好き」だけでは関係性は気付けない。「好き」に付随した「尊敬」や「憧れ」のような感情は、たぶん交際には不可欠なのだけど、それだけでは関係性は成り立たず、より親密な関係になるために必要な歩み寄りを、私は怠った。
結局のところ、コミュニケーションが取れていなかった。お互いに。こんなにおしゃべりで、こんなにいろんなことを話したはずなのに、私は彼についてなにも知らない。びっくりするくらい何も知らない。どんな仕事をしているのか、どんなことをしたかったのか、子供のころの夢…は知っているけど、どんな友達がいて、どんな生活をして…なにも知らなかった。びっくりするくらい、コミュニケーションになっていなかった。
多分彼も、私のことを何も知らない。私がどうやって生きていこうかなやんでいる話は、皮肉なことに、別れ話をした後、ベンチでだらだら話しているときにした。
結局、「好き」で持っている表面的なカップル(=バカップルと同じ)から抜け出せなかった。関係性を築くとか、一緒にいようと努力するとか、そんなことからは無縁だった。で、これ以上どうにもならないと判断した私が「潮時」と判断すると、あっさりと別れた。
愛がなんだ東大上映会 vol.1
愛がなんだ、東大上映会に行ってきた。
愛がなんだ、を鑑賞後、東大の熊谷先生、原作者の角田さん、今泉監督のトークセッションという企画。断っておくと、私は愛がなんだを見たことも、角田さんの本を読んだことも、今泉監督の別の作品を見たことも、熊谷先生のことも知らなかった。ただなんとなく、恋愛を真面目に語りましょうという言葉と、愛がなんだの評判に惹かれて参加した。
ちょっとまだ整理しきれていなくて、本当はあの場で質問してみたいこともあったけど(後述)、それを整理すべくまた人目に止まらなさそうなブログに記事を書いている。
愛がなんだ、は初見だった。実際に見るまでに聞いた噂は以下のようなもの。
「自分を見てるみたいで辛かった」
「寝てもさめても、勝手に震えてろと合わせて限界女三部作」
「これをみた3時間後に彼氏と別れた友達がいる」
「絶対刺さるから感想を聞きたい」
最後の感想は私が数ヶ月前までしていた恋愛をよく知っている友達の一言。
結論からいうと、思ったほど心が動かなくて動揺した。
たしかに、私はテルちゃんを見ていて、つい数ヶ月前の自分を見ているような気持ちになった。恋愛って狂ってるよねって。だけど、刺さったとか泣くとかしんどいとかそういう気持ちにはならなかった。なんだか、もうそんな恋愛をしていたころの自分の気持ちがわからなくなっていて、むしろテルちゃんのように純粋に人を好きだったときの気持ちがちょっと羨ましい。だけどこの上なく気味が悪い。
数ヶ月前までそんなテルちゃんだった自分も怖い。戻りたいと思えないし、思い出させないでほしい。
…なんて書きながら、私の心が動かなかったのは、そんな自分への嫌悪感によるんだろうな、と思った。たぶん1年くらい前の私だったら号泣している。こんな関係やめなきゃ、といっておいて、結局ずるずると別れられない自分をテルちゃんに重ねて泣いている。そしてゾウの飼育員になっている自分にぞっとするのだ。いや、でも私はせいぜいナカハラだった、よかった…よかったのか…?
ここまで愛がなんだを自分の過去に重ねた感想。