いつかやってくるその日のために
私が所属しているサークルは3年生で引退だ。完全に覚書として、私が1年後に引退するときに書く記事のためにネタを書いておこう。
記憶に残った曲として
ジャパニーズ・グラフィティXIV
新歓演奏会の練習でソロをクビになり、その後5月の学祭の演奏会では猛練習してソロを吹いた曲。自分の実力のなさ、不甲斐なさがこの上なく辛かった。自分がまるでこの団体に必要ないと言われているような気持ちになった。本当に悩んだし辛かった。学祭のソロの演奏はとてもよかったけれど、演奏面で、自分がこの団体に必要ないという感覚がこのまま次の年の定演まで続く。
別に上手くなったわけではないのに3年生になって、というか2年生の定演の打ち上げでそんな僻みがすっと消える。いくつか理由があって、一つは、私に「あなたの音はとてもあなたらしくて好きだ」といってくれる人が何人かいたこと。もう一つは、わがままになってサークルを楽しんでいい、と言ってくれた先輩がいたこと。
この二つで、不器用なら不器用なりに、自分の思うように、サークルを楽しみたいと思えた。もちろん技術は磨きたい。上手くなりたいし、迷惑をかけずに吹きたい。これ以上演奏に不要だと言われるのも御免だ。
だけど、それ以上に、やりたいことをはっきりとやりたいと言ってみようと思った。難しいことに挑戦してみたい。
他にももう一曲紹介するべき曲もあるが、眠いので以上にしよう。
鎌倉寺巡り vol.5 【終】
このブログを始めた理由は他でもなく、この旅行記を書く場所が欲しかったからだ。
この先また書きたいことがあれば書きたいけれど、次いつ書くかわからない。今日かもしれない。5年後かもしれない。5年後には存在すらもこのブログの存在さえ忘れているかも。
最後に、なんでこんな旅に繰り出したのか。
いわゆる恋の終わりと思しきものを経験した。じわりじわりと感じていた心の痛み。ある種の楽しみを共有してくれる人がいなくなる。
ここにその人と来ることを夢見ていた。その気持ちとお別れするためにひとりで行った。ある種のやけくそだ。でも、帰ってきた今、ひとりで行ってよかったと思えている。
少し高いお昼ご飯も、長距離歩く旅程も、たった数分江ノ島に行くために乗った江ノ電も、多分私は遠慮したと思う。
ひとりにはひとりのよさがある。好きなことを好きなように楽しめる。誰かと合わせなくていい。
それを知るためにここにきた。そしてそれを知れた。ひとりも悪くない。
また元気に毎日を過ごせる。自信を持って。
鎌倉寺巡り vol.4 【高徳院(大仏)・江ノ島】
鎌倉駅まで歩いてそこから電車に乗るつもりだったのだが、高徳院まで歩いても500mしか違わないことを知り、高徳院まで歩くことに。
道中は生活用路である。
ランドセルを背負った小学生や、子供を乗せた自転車をこぐお母さんがいる。山と隣り合わせのこの場所は、彼らの生活の場所なのだ。
先ほど歩いた道ほどは険しい道ではない。緩やかな道を通って、高徳院へ。
高徳院の大仏さまは、外からは一切見えない。木々などに隠れて見えないのだ。否、うまく隠されているのかもしれない。誰が、いつどの時代の人が隠したのかは知らないけれど。
拝観料を納めて高徳院に入ると、大仏さまは唐突に大きな姿を現わす。少し、戸惑う。あぁ、そうかこんな感じで姿を現わすのか…。
もともとは木の大仏殿があったらしいのだが、津波に流されて、その後に再建されることなく今に至るという。金属でできた大仏が錆びないよう、うまくコーティングなどがされ、後世にこのままの姿で残されていくのだろう。
大仏さまの胎内が見たくて、わずかなお金を納めて中に入る。胎内は、背中に開けられた窓から入る光で照らされている。
あの大きな像の胎内にいるというのが不思議で、冷ややかな空気を感じながら、しばらくその不思議さを味わって外に出た。
だいぶくたびれていた。流石に長谷から歩く元気はない。駅まで歩く道中、物欲に負けて抹茶ラテを買ってしまう。長谷からは江ノ電に乗る。海岸線を通る江ノ電は、乗っているだけでノスタルジーを感じられる。
もう一箇所、行きたいところがある。江ノ島だ。
江島神社の拝観時間は過ぎていたし、島自体を見たかったわけではない。島の観光は1年前にもしていたから。
ただ江ノ島の海岸に沈む夕陽を眺めたかった。
綺麗だった。
ありきたりな光景ではあると思う。写真も撮ったけど、なんだかどこかで見たことのある風景だ。
でも、波が寄せては引いて行く音、海風、そして1日歩きながら考え続けていたこと。そんなもの全部が、その夕陽に私にとっての特別な意味を与えてくれた。
非日常から帰るとき、帰りの電車ではいつも眠ってしまう。そして目がさめると東京の駅の雑踏に足を踏み入れて、東京からさらに1時間かかる自宅へ向かうのだ。
またいつか。
鎌倉寺巡り vol.3 【銭洗弁天へ】
「切り通し」をご存知だろうか?
三方を山に囲まれた鎌倉へ向かうには、山を越える必要がある。しかし山登りは骨が折れる。そこで、山を切り開いて道にしたのが切り通しである。
どんなもんなのか通ってみたい、という純粋な興味で、亀ケ谷切り通し、仮粧坂切り通し(誤字ではない)の2つの切り通しを使って銭洗弁天へ向かうことにした。
先ほど鎌倉から北鎌倉の方面へ歩いたが、今度は再び鎌倉方面へ向かって行く。
円覚寺から建長寺の方面に向かう途中に分かれ道があり、そこから亀ケ谷切り通しへの看板が出ている。
切り通しというくらいなので、私のイメージではとても狭い道なのかと思っていた。しかし、案外広いし、車も止まっているし、地元の人が使っている。一番恐怖を感じたのは露出している岩肌そのものではなく、「落石注意」という看板のほうだった。
へぇ、切り通しってこんなもんなのか。たしかにすごいけど、思ったほどじゃない、たしかに私はこう思った。
が、仮粧坂切り通しでこの時の私は切り通しをなめていたことに気づく。
最初私は行き止まりなのかと思った。そこまで結構きつい坂道を登ってきたけど、行き止まり。どこで道を間違えたのか…?さっきまで看板出ていたのに。
目の前には土の崖のようなものがある。
せっかくここまで登ってきたのだから、順路で行ける限り行ってみよう。勇気を出して、足を踏み出す。雨が降ったのか道…と思わしきところはぬかるんでいる。足場もない。そして急な坂というか段差というか、もはや崖だ。
ここは行き止まりではなく、そんな崖がしばらく続く。大した距離ではないが、その恐怖感と言ったらない。
後ろから自転車を押してきたカップルが、そんな崖を登れるはずもなく立ち尽くしている。自転車じゃなくて正解。
舗装された道にたどり着く。安心感。
この旅の中で、私はこの鎌倉の山に溶けてしまうのではないか、どこか異世界に行ってしまうのではないかと思うことが何度かあった。…なんていうと虚言癖のようだが、それほど静寂で神聖でファンタジックな空気があった。この山登りも、そんな瞬間の一つである。
仮粧坂を登り、さらに舗装された道を歩いて行くと、銭洗弁天に着く。100円でお線香と蝋燭を買い、ザルを借りられる。お線香と蝋燭をお供えしてからお金を清める。
「銭」洗いだし、小銭を洗おうと思っていたら、周りみんなお札を洗っている。というわけでお札と小銭計1500円をザルに入れ、柄杓で清める。
清めるという行為そのものより、その場所が洞窟の中であるということが魅力的だった。天井からは光が差し込む洞窟。
ここまでそそくさと歩いてきた私も、人が多くいるという安心感からか途端に疲労を感じて休憩をとる。
時刻は微妙な時間で、これからもう一つの目的地であった竹寺に向かうのは厳しい。
鎌倉寺巡り vol.2 【北鎌倉 -円覚寺・東慶寺・浄智寺・明月院】
円覚寺まで歩く。
円覚寺は円覚寺で、有名な寺だったように記憶している。もはや北鎌倉の空気が気に入ってしまった私は、その静寂の中に身を置けるというだけで大いに心安らぐようになっていた。
たくさんのお地蔵さまがいたのは円覚寺だったか。方丈とよばれる僧侶の生活空間。その庭に、たくさんのお地蔵さまが並んでいる。なんでこんなにたくさんのお地蔵さまがいるのだろうか。お賽銭が供えられているお地蔵さまと、梅の花びらで化粧をしているお地蔵さま、なんの違いがあるのだろう…?そもそもお地蔵さまというのは何なんだろう。
北鎌倉は浄智寺・東慶寺・名月院と円覚寺、4つの寺が密集している。以下それぞれの雑感。
東慶寺。
中に入ると小さな公園のように、草木が植わっている。花を咲かせているものも少なくない。有名な寺ではないからと言って見学地から外さなくてよかったと心から思った。
山側に向かうと、お墓がある。後醍醐天皇の皇女のお墓というところもあった。日本ではなかなか見ないけれど、山の岩を削って、洞窟を作り、その中に仏像の形を掘ったりという形は、鎌倉では多くみられる。
どことなく粗野な印象を受けるけれど、そんなところが少し好きになった。
浄智寺。
長い階段を登った先にあるここもまた静かな寺である。年配の女性のグループは絶対にこんなところに来ない。
布袋さまがいるというところへ向かう途中、小さな岩のトンネルをくぐる。このトンネルは異世界への扉なんじゃないかと本気で不安になった。
布袋さまのお腹をなでると元気になるという。一人でなでなでしていたら後ろから若いカップルがやってきた。ちょっと恥ずかしかったけど、元気になったのでよしとしよう。
明月院。
名前が素敵だったことに惹かれて。
奥の間の窓が素敵だった。絶好のフォトスポット。
花の咲く頃にまた。
明月院からは再び体力に任せて歩く、歩く、歩く。